橘玲さんの新刊『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』 (講談社現代新書)を読んだ。Netflixの人気ドラマシリーズ「イカゲーム」への言及で始まる本書は、恋愛、金融市場、脳、自分、世界をそれぞれHACKせよという章立て・構成になっている。
誰もが自由に自分らしく生きれるようになったのに生きづらくなるのはなぜか
橘氏は以前から、世界で進むリベラル化、知識社会化、グローバル化によって生まれた現在のような社会・状態を「無理ゲー社会」と名付け、書籍も著している。新刊は、そうした社会をどう生きていけばいいのか、という指南書であり、その方法こそが”HACK”と表現されている。
その主張(構図)を簡単に整理しておきたい。
リベラル化が進むことの意味
リベラル化とは、「誰もが自分らしく自由に」生きられるようになることだ。
リベラル化が進むとあらゆる差別が許されなくなるから、かつてマイノリティとされた人たちはたしかに生きやすくなっている。女性や障碍者への差別は、たしかにひと昔前と比べれば「減った」ように見える。
しかしその結果、誰もが生きやすくなったわけではない(たとえば差別があった古い社会のほうが生きやすい人たちはいたはずと考えれば納得されるだろう)。
とはいえ、リベラル化は、誰にとってもいいことのように思える。それ自体を否定する人もいるだろうが、「誰もが自分らしく生きるたんてもってのほかだ」なんて意見がマジョリティになることはないだろう。この潮流は止められない。
そして、「自分が自由に生きること」を求めるということは、他人に対して「あなたも自分が求めるように生きられる」ことを認めなければいけないということだ。
そうして社会のあちこちで衝突が生まれている。
(リベラル化+知識社会の高度化)×グローバル化
リベラルな社会では自分が考えて自由に生きられるのだから、人生は自分の選択の結果として、受け止めなければいけない。自己責任というやつだ。
しかし誰もが自分らしく自由に生きたとしても、誰もが世界で、社会で評価される能力を持っているわけではない。たとえば、ロボットでもできる仕事の分野で能力や経験を持っていた人たちは次第に労働市場で淘汰されていくだろう。
知識社会の高度化が進んだことで、たとえばアメリカでは学歴社会に置いて行かれた高卒の白人労働者層がドラッグやアルコールにおぼれ、絶望死しているという。世界で平均寿命が延びているのに、アメリカでは低学歴の白人労働者のそれが短くなっているというから驚きだ。
さらにグローバル化もあいまって、格差が拡大している。世界の富の大半は一握りの人たちが握っているという。日本でも一億総中流なんて時代ではなく、上級国民と下級国民とに分断されてしまっている。その拡大した格差が可視化され、それを目の当たりにすることで多くの人が一層、格差を痛感する……。
絶望的な大きな差を超えるために
その大きな差を飛び越えるには、普通のやり方ではダメだ。だからHACKせよ、というのが本書の主張だといえる。こうした考え方に賛同された、または関心をもたれた人は、『人生は攻略できる』(ポプラ社)などもあわせて氏の書籍を読んでみて欲しい。