ここ数年、「パパ活」という言葉をよく聞くようになった。
この言葉の定義は定まっていないから、人によって、イメージしている行為が異なる。プレイヤーである中年男性と若い女性の間にギャップがあるのはもちろん、それ以外(第三者・世間)イメージするものがまったく違っている(と思う)。
そして、供給側の女性が需要側の男性をほんろうできる、実に曖昧で都合のいい言葉だなということだった。
最近、『職業としてのAV女優』 (幻冬舎新書)などの著書があるジャーナリスト・中村淳彦さんの新刊『パパ活女子』 (幻冬舎新書)を読んで、そのあたりがきれいに整理されていていろいろ腹落ちした。
パパ活のイメージ・男女のすれ違い
パパ活とは、パパと呼ばれる男性(中年)に若い女性がいろいろなものを提供してお金もらうことなのだが、提供する「いろいろ」を何と考えるかで、イメージが異なる。
ただ、そもそも提供するものが「セックス」一択であれば、パパ活などという必要はない。援助交際とか売春という聞きなれたコトバがあるからだ。であれば、パパ活で女性が男性に提供するのはセックスだけではないということなのだろう。
パパ活の文脈でよく耳にしたのが、「お茶やごはんを一緒にしてお金をもらう」という行為が成立しているという。
これらを考え合わせた、本書を読む前までの自分のイメージは、
男性が求めているのが「若い子とのセックス」。
これに対して、女性が提供したいのはセックスではなく「時間」。
なのではないかというものだった。
そりゃあ女性はたいてい、おじさんとなんかセックスはしたくないだろうし、「若い女の子と過ごせる時間を提供するんだからありがたいでしょ」とばかりにおじさんと過ごすのがパパ活で、その先にセックス(パパ活用語では「大人」)もあるのだろうと……。
たしかにお茶やごはんにつきあって1万円もらえるなら、セックスして2~3万円もらうよりはチョロいと考えて当然だろう。
しかし、これもまた一面的な見方であることが本書で分かった。
本書によるパパ活の定義
本書は冒頭、パパ活という言葉の使われ方・その範囲が広いことを指摘して、言葉を定義している。それによると、次の3つを満たすものがパパ活というのだ。もちろん筆者なりの定義であって社会のコンセンサスではないだろうが、私としては納得の定義だった。
- デートして、その見返りに金銭的な援助をしてくれる男性を探す
- 第三者がかかわることなく、自己決定する
- (高校生ではない)18歳以上
定義によると、筆者が提供するのは「デート」。だからお茶やごはんもあれば、ホテルデートもあるということだ。
第三者がかかわることなくという点も特徴で、第三者がかかわればそれは交際クラブであったり、援デリ業者ということになる。
本書の読みどころ・考えさせられた点
これを定義・出発点として、本書ではパパ活をしている女性や、パパ活という言葉をつくった会社、若い子に定期的に会っているパパたちを取材している。
彼・彼女たちの言葉や、それをもとにした筆者の分析から感じたことを挙げると……
同じ女性側でも、年齢や「何かを提供してお金をもらうということの意味が分かっているかどうか」で、稼げる額が大きく異なる
海外でもパパ活はあるが日本はとりわけ若い女性の価値が高く、女性の側には逆年功序列がきいている
日本が貧困化していることもパパ活がまん延していることと無縁ではない
エンコ―している若い子というと、すさんでいたり、いわゆるビッチ系の、軽そうな見た目をしていたりする子をイメージしそうなものだが、パパ活は普通に働いている高学歴の女子が生活に困ってやっていることがある
ということなどだ。
パパ活女子を否定するつもりも、パパを非難する気もない。ただ、パパ活などしたくない女子を生んでしまっている現状に切なさを感じると同時に、「稼ぐ力(と頭)」をつけておかないと、売るものが「時間(と体)」だけになってしまい、とても生きづらくなっていくということ。
これは若い女性だけでなく、サラリーマンと同じことが言えそうだ。